ヴィランたち~
ゴラム
『指輪物語』(評論社 瀬田貞二 田中明子訳)ではゴクリという訳が当てられています。
本名はスメアゴル。
川辺に住むホビット族の出で、ある日、友だちとボートに乗って釣りをしていると、誤って川に落ちた友だちが川底に光る物を見つけ、それをつかんで上がってきます。
開いた手の中にあったのは金ぴかの指輪。
スメアゴルはその光に魅せられ、友達にせがみます、
「今日はおれの誕生日だから、誕生日のプレゼントにそれをおくれ」
スメアゴルは嫌がる友だちから力づくで指輪を奪います、彼を殺して。
これこそ、500年前、エルフと人間が結んで魔王サウロンに立ち向かった折、王子イシルデュアがサウロンの指から切り取った邪悪な「一つの指輪」でした。
指輪を自分の物にしようとしたイシルデュアは指輪に欺かれ、非業の死を遂げましたが、その時指輪は彼の指をすり抜けて川底へ。
そこで本来の持ち主サウロンのもとに帰る機会を泥の中でじっと待っていたのです。
『指輪物語』に登場するサウロンやサルーマンのような巨大悪に比べると、ゴラムは小悪党です。
魔法を使うでも剣を振るうでもなく、日の光を嫌い、こそこそと闇の中をはいずります。
けれども、小さいからと言って決して侮れない、サソリや毒グモのように危険な存在。
彼は小動物や魚を捕食しますが、新鮮な獲物が手に入らない場合は屍肉にも手を出すし、相手が弱ければ人間やホビットも捕食の例外ではなさそうです。
初めてゴラムが登場するのは『指輪物語』の前日談『ホビットの冒険』の中です。
ガンダルフと13人のドワーフに半ばむりやり旅に連れ出されたビルボ・バギンズは、危険から逃れて止む無く逃げ込んだ地下の池のほとりで、この怪物に出くわします。
怪物はビルボになぞなぞで挑んで来ます。
なぞなぞに負けたらおまえを食うというのですから、ビルボは必死です。
勝負は五分五分。
切羽詰まったビルボが口に出した最後のなぞなぞが「これは何だ?」でした。
実は、ビルボは怪物と出会う前、足下に落ちていたきれいな金の指輪を拾ってポケットに入れ、忘れていました。
怪物に責め立てられ、無意識にポケットに手をつっこんだところ指輪に触れたので、ビルボは思わず、「これは何だ?」とつぶやいたのです。
それをビルボのなぞなぞと受け取った怪物は答えが分からず、言葉につまってしまいました。
「これで自分の勝ちだ」
ビルボはさっさと逃げ出しますが、後ろですさまじい叫びとののしりが上がりました。
「ぬすっとバギンズめ!」
指輪は怪物がとても大切にしている物だったのです。
追いかけてくる怪物をかわすうち、偶然(?)、指輪がビルボの指に滑り込み、ビルボの姿は消えます。
「バギンズ、憎むー!」という叫びを背後に危機から脱したビルボは、この姿の消える指輪を大いに活用してドワーフたちの冒険に貢献したのでした。
作者のトールキンはその後、このグロテスクな怪物を壮大な『指輪物語』のメインキャラクターの一人に育て上げました。
盗まれた指輪を「いとしいしと」と呼んで焦がれ、バギンズ(ビルボ、そして、のちにはフロド)を憎み、どこまでも追いかけ続ける忌まわしい怪物ゴラムに。
ゴラムにならなかったビルボ、フロド
原作『指輪物語』のゴラムは危険で忌まわしく、不気味な存在です。
意外なことに、P.ジャクソン監督の映画「ロード・オブ・ザ・リング」のゴラムはどこかしら愛嬌があるせいか、「かわいい」とか「かわいそう」という声が若い世代で聞かれ、フィギアにもなって人気です。
一つにはモーションキャプチャーを駆使した俳優アンディ・サーキスの人間味たっぷりの演技のせいなのでしょう。
映画のゴラムは製作スタッフの現代的解釈が反映してか、悪に堕したというより、メンタル面で病んでいる人間という感じでした。
確かに原作でもゴラムは自分自身を「わし」ではなく「わしら」と複数形で呼びます。
ゴラムは恐らく暗い地下で孤独に生きる中、指輪を唯一の話し相手として「いとしいしと」と呼びかけるうち、いつしか自分と指輪とが一体化して「わしら」になってしまったということでしょう。
そのゴラムが地獄のようなモルドールの地をさまようフロドに近づき、フロドの所持する指輪を奪う下心から旅の案内を買って出た。
そして、フロドから人間らしく扱われるうちに、忘れていた本来の自分スメアゴルが現れ、ゴラムとスメアゴルがジキルとハイドのように内面で葛藤をし始める…。
フロドを殺しても指輪を奪おうとするゴラムとそれを止めようとするスメアゴル。
映画の中、善悪に分裂した人格が一人二役で言い争う場面はなかなかすさまじいものがあります。
他方、原作の方では、とことん指輪に毒され、みじめでボロボロのゴラムは、むしろ薬物やアルコール依存の患者を思い起こさせます。
片思いの相手をあきらめきれずにズルズルと追い回すストーカーの情けなさ、気の毒さに重なったりも。
サウロンの指輪を持つ者は長寿になります。ビルボが111歳になっても見かけは50代のままであったように。
フロドもしかり。
けれども、それは、ビルボ自身の言葉を借りれば「少なすぎるバターをパンに塗りつけたような」虚しさを伴う長寿。
山の根深く入り込んで闇の中で数百年を孤独に暮らしたゴラムは太陽を嫌いゲテモノを食う、ウーパールーパーの化け物になってしまった。
それでも、ガンダルフの言葉を借りれば、ゴラムは「賢者も思い及ばないほど強靭であった」のであり、それは彼が人間でもエルフでもなく、ビルボやフロドと同じホビット族だったからだと言います。
そこにガンダルフはほんのわずかの「可能性」を見るのです。
疑問が一つ残ります。
同じホビット族のビルボとフロド、そして、スメアゴル(ゴラム)の三人がある時期サウロンの呪われた指輪を所持し、その悪影響の下にありながら、どうしてこうも後の人生が分かれたのか?
物語中、ゴラムについて、初めてガンダルフから知らされたフロドは、暗やみから指輪を露わにし、自分や世界を危機に陥れたゴラムを憎んで、「どうしてビルボはゴラムを殺しておかなかったんだろう」と愚痴ります。
ガンダルフはたしなめます、その慈悲心こそがビルボをゴラムにしなかったのだと。
スメアゴルが指輪を手にした時、指輪が最初になさしめた悪行は殺人だった。
しかも、それは同族の友だち。
この兄弟殺しとも言うべき拭い難い罪がスメアゴルを苛み、ゴラムへと変えたのでした。
ゴラムの最後~贖罪
ゴラムの物語は殺人から始まった。しかも、それは忌まわしい同族殺し。
決して拭うことのできない絶対の罪を背負って、ゴラムは二度と晴れ晴れと太陽を仰ぐことも仲間と笑い合うこともできず、ただ指輪の冷酷な光だけを愛して地獄の境地に沈んで行きます。
同じ指輪所持者でありながら、ビルボ、フロドは別の道を歩みます。
とはいえ、ビルボも悪の指輪の影響を全く受けなかったのではありません。
ビルボの指輪を怪しみ、中つ国中を調べ回って、それがサウロンの「一つの指輪」である確信を深めた賢者ガンダルフがビルボを問い詰めた時、ビルボはその指輪を「プレゼントされた物」といい、「いとしいもの」と呼びます。
ここにすでに嘘がありました。
ビルボは指輪をゴラムのいた洞窟の道の途中で拾ったのでした。
その後、ビルボはゴラムとなぞなぞをしますが、ビルボの出した最後の問題はポケットにあった指輪に触れた瞬間に口をついて出た言葉、「これはなんだ?」でした。
これはなぞなぞではありません。ビルボはルールを破ったことになります。
それなのにビルボは、言わばズルをして勝ったなぞなぞの賞品として、指輪は自分に贈られた物、いや、贈られるべき物だったと心の中で位置づけます。
これは、川辺のホビットだったスメアゴル(ゴラム)が友だちを殺して奪った指輪を誕生祝に贈られたと合理化していたのとそっくりでした。
その指輪を my precious (大切な物、人)と呼ぶ呼び方も。
その裏に隠されているのは罪の意識でした。
ただ、ビルボは、ゴラムを殺す機会が十分にあったにもかかわらず、哀れみから手を血で汚さなかった。
そして、最後には、ガンダルフの強烈な脅しが後押ししたとはいえ、自ら指輪を手放すという、離れ業をやってのけた。
この時、ビルボにはエルフたちと一緒に西へ(神々の国へ)旅立つという切符が約束されたと言えるかもしれません。
他方、ビルボから指輪を受け継いだフロドはそれを滅びの山の溶鉱炉に運んで壊すと言う重荷を負うことになります。
さんざん難儀な旅をするフロドを、これまた、ボロボロになって追うゴラム。
フロドに付き添う忠実な友サムワイズ・ギャムジーは、滅びの山に近づくにつれて指輪の影響が強くなり幻覚に苦しむフロドを心配します。
フロドとゴラムの間に生まれたある種の共感をも。
フロドは自身もゴラムになる可能性があることを熟知していました。
とうとう指輪への飢えに負けて手を伸ばすゴラムを強い言葉で叱りつけるフロド。
この時、サムの見たのは白い衣をまとう権威ある者の幻影とその前にひれ伏すゴラムの姿。
時々刻々、指輪の魔力に魅入られ、それを自ら手放す力を失っていくフロド。
ついにその時が来て、灼熱の溶岩の流れを真下に見た時、フロドはサムをふり返って世にも恐ろしい言葉を吐きます、「これは私のものだ」
指輪をはめ、姿を消したフロドに向かってとびかかるゴラム。
彼はフロドの見えない指を食いちぎり、「いとしいしと」を取り戻して、幸せそうに、悲しそうに溶岩の中に消えて行くのです。
こうして、殺人者であり怪物であるゴラムの贖罪は完成します。
その長い物語中、彼本来の姿が垣間見える瞬間があります。
フロドとサムがかばい合って眠るのを見る彼につかの間訪れたのは「時代からも、友人や親族からも、青春の日の野や水の流れからも」隔てられた、哀れな老人の顔。
凄まじい嵐に荒れた一日の終わり、黒雲の合間に一瞬閃く夕陽のような、美しくも悲しいこのシーン。
救われもしますが、どうしようもなく切ないのです。
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