『指輪物語』への愛💗
ガンダルフ
灰色のガンダルフ
灰色のガンダルフはフロドを除けば『指輪物語』の最主要なキャラクターと言えます。
彼は常に物語の中心にあって、この重厚かつ巨大な作品を支え、力強く前進させていく原動力のような存在です。
悪霊サウロンとその手下を相手に常に恐怖と不安にさいなまれながら、ほとんど勝ち目のない戦いを続けるホビット、人間、エルフ…。
中つ国の善なるキャラクターたちにとってガンダルフは頼りになる指導者であり、救いと希望の光なのです。
だから、それが消える時、彼らは(そして読み手の私たちも)表しがたい絶望を味わうことになります。
物語の中盤にも至らぬ時点でガンダルフが宿敵バルログと戦い、モリヤの坑道の闇に沈んだ時、初めての読者(あるいは映画などの鑑賞者)なら仰天したはずです。
リーダーを失ったフロドたち、旅の仲間の驚きと失望はいかばかりか。
作者トールキンはそれを、ガンダルフを失った後に暗やみを逃げるフロドたちのすぐれた描写で表現します。
「彼らはこの廊下を一散にはしりました。フロドは自分の隣でサムがすすり泣いているのを聞きましたが、次の瞬間には、自分もまた走りながら泣いていることに気が付きました…」
ところで、ガンダルフは最初からこんなにすごい存在ではありませんでした。
恐らく、作者トールキンの中で誕生したばかりの時には西欧のおとぎ話に出て来る伝統的な魔法使いからさほど違わないイメージだったと思います。
『指輪物語』の前日談に当たる『ホビットの冒険』に初めて登場する彼はとんがり帽子に灰色のマントと杖、しわがれ声でがみがみしゃべる魔法使い。
これは当時の子供たちにとって少しも目新しものではなかったはず。
ところが、わがガンダルフはそこからどんどん進化して行く。
物語が進むにつれ、ガンダルフは変化し、成長し、変貌を遂げていくのです。
もちろん、他のキャラクターたちも困難な旅の中でそれぞれに成長して行きますが、ガンダルフの辿るのは彼らとは全く異質なもの、チョウやトンボの幼体が脱皮して成虫になるほどの変容なのです。
私たちは物語の進行とともにそれを目撃しますが、それは作者トールキンの中でこの稀有なキャラクターが熟成されていく過程でもあるのでしょう。
そして、同時に彼が纏っている謎のベールが一枚、また一枚とはがされ、その驚きの正体が徐々に明かにされて行くのです。
1000頁にも及ぶ物語の最後、灰色港の船出シーンで私たちを待っているのは何ともせつない別れ。
それはホビットたちを、そして読み手の私たちを深く柔らかく傷つけます。
永遠の別離を乗せた船が出航しようというぎりぎりの瞬間、ついにガンダルフの驚くべき秘密が明らかになります。
私たちはガンダルフの背負ってきた重荷が想像をはるかに絶するものであったこと、他者の恐怖や不安を叱咤激励し常に前進させて来た心の底で、彼自身が誰よりも勇気を奮って恐れと戦い続けていたことを知るのです。
それは彼への愛と敬意をいや増し、私たちは辛うじて、ほっと、安らぎの上に不時着することができるのです。
驚くべきガンダルフの成長と変容
『指輪物語』の始まり、ビルボの誕生会に登場するガンダルフは、少なくともホビット村の住人にとってはさすらいの花火師。
村人の頭上を炎のドラゴンが飛び回るのですから並の花火師ではないのですが、よれた外見に似合わない豊富な知識を持つ優れた魔法使いであることを知っているのはビルボとフロドぐらい。
『指輪物語』の前日談『ホビットの冒険』にさかのぼったら、ドワーフやエルフの王族、巨人やドラゴンに比べてガンダルフがさほど抜きん出ている印象はありません。
火を扱うのに長け、物知りで頼りになる魔法使いではありますが、旅の一行がオオカミの群れに囲まれ木の上に追い詰められた時などには、そのガンダルフさえ「そら恐ろしい」と弱音を吐いているのですから。
後に『指輪物語』の中で冥王モルゴスの手下バルログと対等に渡り合うガンダルフと比べるとずいぶん小ぶりです。
けれども、私たちはもっと小ぶりなガンダルフに出会うこともできるのです。
古いゲルマン人の神話・伝承を集めた北欧の古謡集『エッダ』の中に、あのオーディンや軍神トール(ソー)などのそうそうたる神々と並んで、神々が生んだ小人たちの名前の中に「魔法に長けた妖精」という意味のガンダルヴという名が登場するのです。
ちなみにオーリ、ノーリ、フィリ、キーリ、スローイン等々、『指輪物語』や『ホビットの冒険』でおなじみのドワーフの名前も『エッダ』の中に小人の名としてガンダルヴに並んでいます。
これは作者トールキンの創作過程を辿れる嬉しい発見です。
そんなガンダルフがその大いなる力を見せつけるのがおなじみバルログとの戦い。
旅の仲間の一行がかつてのドワーフ王国の館、朽ち果てたモリアの坑道の中をさまよううちに、地下深くから甦った冥王モルゴスの部下バルログに追われることになります。
ガンダルフは奈落にかかった橋の上に立ち、追って来るバルログの前に立ちふさがって怒鳴ります、
「…わしはアノールの焔の使い手じゃ! 暗き火、ウデュンの焔はきさまの助けにはならぬ!…」
アノールとは昼夜の別がなかった太古に神々がエルフや人間を悪しき力より守るために据えた光、つまり太陽のこと(『シルマリルの物語』より)。
ということは、ガンダルフの用いる火は炭素が二酸化炭素に変化する通常の燃焼反応ではなく、太陽で起きている4つの水素がヘリウムに変化する核融合反応!?
バルログの使うのがウデュン(冥王が地下深くの闇に設けた館)の焔…、つまり重金属がどろどろと解けたマントル由来だとしたら、相当な火力にしてもガンダルフの水爆には負けるってことでしょうか、やはり。
灰色のガンダルフから白のガンダルフへ
2001年ピーター・ジャクソン監督の映画「ロード・オブ・ザ・リング」がアメリカで公開された時、アメリカ人で私同様『指輪物語』大好き人間の友人がいち早く劇場で見て、こんな話を教えてくれました。
「映画館の椅子に3時間半も座った挙句、ガンダルフが奈落に落ちて終わったら、隣の客たちが『なんだこれ~??』って…(笑)」
無理もありません、早々に最重要キャラクターが消えたんですから。
その観客たちは原作を知らなかったので、今見ている映画が三部作(各3時間半)の第一部に過ぎず、後でガンダルフが復活するなんてことも知らなかったわけです。
2002年いよいよ日本で公開された時、映画館にすっ飛んで行った私は両サイドにコーヒーとポップコーンを置いてCGを駆使したガンダルフVSバルログの戦いを鑑賞するという、この上ないぜいたくを味わったわけです(笑)。
第一部のクライマックス、地下深きモリアの橋の上で一人バルログと対峙するガンダルフ。
背後の仲間を守らんと杖を振り上げ、憤然と廃墟にとどろく彼の声―原作では ”You cannot pass!”
このシーン、映画では名優サー・イアン・マッケランの口にしたセリフがちょっと違っていて ”You shall not pass!”
字幕はこれを「あなたはここを通過できないでしょう」ではなく、「ここは通さん!」と名訳!
「わ、話者の意志のshallだ!」と私は狂喜。
学生時代にどうしてものみこめなかった英文法「話者の意志のshall」がやっと完ぺきに頭に入った瞬間だったのです。
その後、指輪の仲間たちは新しくアラゴルンをリーダーに据えて心細くも果敢に旅を続けます。
が、やがて、途中で別の道を選んだフロドとサム以外のメンバーの元へガンダルフが帰って来ます、真っ白な姿で。
その間にいったい何が起こったのか、ガンダルフの語る話はとても謎めいていて、理解するのが困難です。
彼は測りようもない奈落へ落ちながらバルログと戦い、水底で戦い、山頂で戦い、焼かれ、冷やされ、ついに敵を山頂から投げ落としたが…。
「次いで暗やみがわしを襲い…思考からも時間からもさまよい出てはるかな道を彷徨した。その道のことは話すまい」
その後、彼は裸のままで送り返されたというのです、「ほんのしばしの間、わしの務めをし終えるまで」
日光に透けるまで薄くなり、羽のように軽くなったガンダルフ。
彼は山頂に横たわり、気の遠くなるほどの日夜を過ごします。オオワシが彼を見つけてロスロリエン(エルフの国)へと送るまで。
エルフの女王ガラドリエルのもとで彼は癒やされ、真っ白な姿で復活した…。
これが仲間たちにガンダルフの語ったことです。
この話はいったい何を意味するのでしょうか?
いったい、彼に何が起こったというのでしょうか?
これらの描写から私がイメージすることは死と死からの復活です。
彼はある意味、一度死んで、復活したと思うのです。
その正体は?
物語の中盤を過ぎた当たり、一番若いホビットの一人、ピピンことペレグリン・トゥックがとんでもない失敗をします。
好奇心が昂じて、ガンダルフにきつく止められていたにも拘わらず、彼の寝ている隙にパランティアの石という魔法の石をのぞいてしまったのです。
結果、ピピンは悪魔サウロンの目に捉えられ、身に危険が迫るはめに…。
ピピンを守るため、ガンダルフは仲間から離れ、ピピン一人を連れて数百キロ離れたゴンドール国に行くことを決めます。
ガンダルフのマントにくるまれて名馬シャドーファックスの背に乗るピピン。
大きな安堵感に包まれ、ピピンはサウロンの恐怖も薄れてガンダルフを独り占め出来ることを喜びます。
いつもなら火のように激しく、余計なことを言わず、すぐにかっと怒り出す魔法使い。
それが今は知りたがりのピピンのどんな質問にもすらすら答えてくれました。
荒野の薄闇を影のように滑らかに駆け抜ける馬上でガンダルフはホビットの知らない太古の物語を語り、低い声で歌います。
初めてこの場面を読んでいた時、私の心に強い疑問がわき上がりました、「そもガンダルフとは何者なんだろう?」と。
その疑問はガンダルフの歌や言葉に夢のように耳を傾けるピピンの心と重なり、その一瞬、私はピピンになっていました、『はてしない物語』(M.エンデ)のお話の中に呑み込まれてしまったセバスチャンのように。
ピピンを乗せて疾駆するガンダルフはそれより少し前、モリア坑道で怪物バルログと戦い深い淵に消え、その後、真っ白に変わって帰って来ていました。
いったい、彼にその間何があったのか?
自身がカトリックであった作者トールキンはキリスト教の思想・世界(宇宙)観にそれ以前の北欧や古代ゲルマンのそれを融合し、物語全体のベースとしていました。
白のガンダルフは磔刑による肉体の死後に白く変容して弟子たちの前に復活したイエスの姿に重なります。
『シルマリルの物語』には、また、マンドスの館という、死者の行く場所が出てきます。
そこはエルフや人間が死後に行き、世界が終わりをむかえ、人知を超えた最高神(イルーヴァタール)がすべてのアイデアを実現するその日まで留まっている待合室のような場所です。
ガンダルフが詳しく語ろうとしなかった「思考からも時間からもさまよいでた」長い旅路とはこのマンドスの館への行程だったのでしょうか?
そこから裸にされて帰されたガンダルフ!
「あんなおじいちゃんの裸、見たくないなあ」と思ってしまいますが、ここで「そもガンダルフとは何者?」という疑問を追っていくと少し理解が深まります。
物語終盤、ゴンドールの大将ファラミアの口から、ガンダルフが上古に神々の間でオローリンという名で呼ばれていたことが語られています。
『シルマリルの物語』に探すと、オローリンとは神々近くに仕える地位の高い精霊なのです。宿敵サウロンと同格の。
そういう精霊たちは、神々同様、もともとは肉体を持たず、必要に応じて特定の姿をまといます。
死後の世界から「裸で帰された」ガンダルフは肉体を持たない精霊の姿だったのではないでしょうか、銭湯のおじいちゃんではなく。
そして、エルフの女王ガラドリエルの力を借りて新たに白い姿をまとった…。
まだ疑問は残ります。
神々同様、不死の精霊だったガンダルフが行った先は本当にマンドスの館だったでしょうか?
あるいは、神々を凌ぐ存在、最高神イルーヴァタールが関わっていたのでは?
作者が情熱を注いだ稀有のキャラクター、ガンダルフをわが宇宙の外なる存在に見えさせたことは大いに考えられます。
ガンダルフの行先を物語の中であからさまに語っていないのはトールキンの神への畏敬と慎みだったのかもしれません。
そもガンダルフとは?
太陽の焔を操り、上古の怪物バルログと渡り合い、エルフや人間に頼りにされ時に恐れられ、悪党どもを名剣グラムドリングで滅多切り。
強いガンダルフ!
歴戦の将ガンダルフ!
大魔法使いガンダルフ!!
けれども、彼の魅力はそこだけにあるのではありません。
時に彼の見せる優しさや親しみやすさに私たちは惹かれます。
旧知の仲であるビルボやフロドと並んで座り、パイプの煙で輪っか作り競争をする姿は物語にも映画にも登場します。
知りたがりが昂じてトラブルに陥ったピピンを自分のマントにくるんで馬に乗せ200リーグを行く間、太古の物語を歌い聞かせたことは前回に書いた通り。
P.ジャクソン監督による映画「ロード・オブ・ザ・リング 第3部 王の帰還」のクライマックス近く、剣を手に最後の激戦を待つピピンがガンダルフに死への不安を語るシーンがあります。
ガンダルフはこの上なく親切な目でピピンを見やり、語ります…。
「…しばし闇が落ちる。再び目を開くと静かに雨が降っている。その雨が上がると、向こうに美しい緑の島が見えて来る…。どうだね、悪くあるまい?」
「ええ、悪くないですね」
このシーンは原作にはないのですが、ガンダルフの言葉を通してトールキンの死生観がよく表現されています。
ゴラム(日本語訳ではゴクリ)こと、スメアゴルはもともとホビットの一族。
一時期、魔王サウロンの指輪を隠し持っていた彼はやがて指輪に毒され、怪物となり果て、失った指輪を求めて現所有者のフロドを追い回します。
旅の道中、ゴラムにつきまとわれるフロドは「ガンダルフが殺してくれていたら」と恨みます、かつてガンダルフにはその機会があったのにと。
嘘と悪意の塊であり、屍肉をあさるこのみじめで危険な生き物をガンダルフはなぜ生きながらえさせたのか?
ガンダルフはゴラムの真っ黒に閉じた心の片すみにあるかすかな「よくなる望み」を見捨てませんでした。
同時に、サウロンさえも「予測しない役割を果たす可能性」を彼の中に見て取ったのです。
実際、もしもガンダルフがゴラムを「無用なもの」と即断し切り捨てていたら、サウロンの恐るべき指輪を破壊するというフロドの使命は達成できず、物語は悪の大勝利に終わっていたでしょう。
同じく神々に遣わされながら、尊大にして野心のために悪に堕して行ったサルーマンとの違いはどこにあったのか?
上古にガンダルフはオローリンと呼ばれ、神々に仕えていたことは前に述べました。
オローリンの時、彼はしばしばニエンナという女神を訪れています(『シルマリルの物語』)
この女神は悲しみを熟知し、他の憂いを知らず輝かしく喜ばしい創造の神々から距離を置いて、「死者の館」近く、世界の縁に住んでいます。
そして、彼女が悲しみ嘆く声を聞けば、だれもが「憐憫と望みをもって耐えることを学ぶ」と言います。
ガンダルフはこの女神から「慈悲と忍耐」を…、
容易に悪に染まる、弱くて情けない、ちっぽけな存在の悲しみに寄り添い、これを見守り、見捨てず、可能性を信じてじっと待つことを学んでいたのです。
物語の最後、灰色港から上位エルフの最後の船が彼岸に向かって出航する時、ガンダルフの指に初めてルビーの指輪が光ります。
彼こそは偉大な3つのエルフの指輪の一つ「赤い火の指輪」ナルヤの持ち主だった!
ホビットの間に灰色マント、杖、三角帽というぱっとしないスタイルで初登場した魔法使いがついに稀有な正体を明かした瞬間であり、指輪闘争を通してガンダルフが担っていた真の重荷が何だったのかを読者が知る瞬間です。
ガンダルフとは宇宙を包むほどの知恵とパワーを持ちながら最小の、時に最悪の存在にも心を置く大慈悲のお方だった…。
ここは合掌するところかもしれませんね(笑)
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